幸せになることへの罪悪感の理由は?

物心がついた時から、苦労ばかりしている母親を見て
母親と同じような人生は歩みたくないと思っていました。

 

しかし、母が苦労していたかどうかは
本当は母以外誰もわからないことなんです。

 

それでも私から見た母は
破天荒な父に振り回されていたり

朝から晩まで父の仕事を手伝い、職人さんの世話や
私達子供の子育てに明け暮れ

自分のことはいつでも後回しで
オシャレをする暇もなく
髪を振り乱して生きているように見えました。

 

1人の時間もなく、自分の楽しみも後回し

そんな母親と同じ人生だけは
絶対に歩みたくないとずっとそう思っていました。

 

 

そんな私が大人になって、幸せになろうと思っても
いつもどこかで幸せになることへの罪悪感がわいてきて
幸せになることへのブレーキがかかりました。

 

心の内から聞こえる声

 

「幸せはいつまでも続くものじゃないから」

「幸せの後は何か悪いことが起こるはず」

「私だけ幸せになってはいけない」

「自分だけが良い思いをするのは申し訳ない」

そんな心の声が聞こえると、
幸せになってはいけないような気がしていました。

 

 

物心がついた時から母が自分のことはいつも後回しにして
人の世話をしていた姿をみていたから

自分のことを優先させることはいけないことだと思っていました。

 

自分を犠牲にして生きている母の姿をみていたから

家族やきょうだいや人のことを考えずに
自分のやりたいことをやることはいけないことだと思っていました。

 

やりたいことは我慢して
人のために動いて
自分を犠牲にして
自分だけ幸せにならないよう

そうやって生きていかなければいけなくて

そうじゃない自分に対しては罪悪感がうまれてしまう。

 

私が見ていた苦労ばかりの母の姿は
事実ではなかったかもしれません。

母を可愛そうな人だと思っていたのは私だけで
母は本当は幸せだったのかもしれません。

母は犠牲になっていたわけではなく
やりがいを感じて生きていたのかもしれません。

私は事実と異なり
自分の勝手な思い込みで母を見ていたのかもしれません。

仮に、もし私が思っていた通りの母だとしても

 

母は母で私は私。

何の罪悪感も感じることなく
私は幸せになっていい

そう思えるようになってから幸せになることへの抵抗がなくなり
幸せになることへの罪悪感がなくなりました。

 

 

例え母の人生が苦労ばかりであったとしても
それは母が自分で選んで生きてきた人生なので

たとえ親子であっても
母の人生に立ち入ることは出来ません。

また母は自分の人生の学びを得るための経験をしていたのです。

私には母の学びを邪魔することも、奪う権利もありません。

そう考えられるようになったら
今まで囚われていたものがばくなり

そして

自分は幸せになっていいんだと許可してあげることが
出来るようになりました。

 

もしあなたが幸せになりたいと思っているのに
幸せになれなかったり
幸せになろうと思うと罪悪感がうまれてくるようなら

私と同じような経験をしていなかったでしょうか?

 

あなたも私も幸せになるために生まれてきました。

幸せになるためには自分が幸せになっていいんだと
自分に許可してあげることが必要です。

誰かのために犠牲になる必要も
自分を後回しにする必要もなく

罪悪感も抵抗も手放し

自分を優先して幸せになっていいと自分に伝えてあげてください。

まずは自分が満たされることが大切だということを忘れないでくださいね。

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